「もしも」に備える②~誰しも<治療・介護・看護>を受けたくはないけれど…【2011年 第19回】

【2011年 第19回】「もしも」に備える②~誰しも<治療・介護・看護>を受けたくはないけれど… “終わり”ではない「エンデングート」

高原 育代(タカハラ ヤスヨ)⇒ プロフィール

いつ、どんな病気になるか、それによってどんな<治療・介護・看護>を必要とする状況になるか、それは誰にもわかりません。コントロールできないことに対して悩んだり心配したりするよりも、本来は、自分ができることは何なのかを考えて行動に移しておかなくてはならないはずです。

 

 

もっともなりたくない病気といえば?

もっともなりたくない病気といえば、みなさんは何を挙げますか?
家族や周囲の親しい人たちが経験してきた病気やその経過等に、自身がどのような関わりをもってきたのかによって、思い浮かべる病名や疾患はさまざまだと思います。

大勢の人が挙げると予想されるのは、日本人の「三大死因」と呼ばれる、悪性新生物いわゆるガン・心疾患(高血圧性を除く)・脳血管疾患ではないでしょうか。
誰しも、最期には何らかの「死因」によって死と向かい合わなければなりません。

それはわかっていても、こういった病気によって必要となる<治療・介護・看護>がもたらす、本人あるいは家族への精神的・肉体的・経済的・時間的な負担の大きさを考えると、なるべくなら避けて通りたいと思うのが人情です。

影響を受けた父の病気

私の場合、もっとも大きな影響を受けたのは、父の病気の経過でした。
父が最初の脳梗塞で入院したのが30代後半。当時、私は小学校2年生。1ヶ月ほどの入院で軽い後遺症は残ったものの、仕事には復帰することができました。
が、父が50代前半の時、勤務中に脳出血を起こして倒れて病院へ。私は大学4年生でした。
死も覚悟しながら数日間の集中治療を受け、容態安定はしたものの半身不随の状態に。母を中心に、自宅・病院・その他施設を何度も行ったり来たりしながら、亡くなるまでの約13年の介護生活が続きました。

父本人も、まだ会社勤めも終えていないうちから身体の不自由な生活を強いられていろいろと辛かっただろうと思いますが、先の見えない介護生活は私たち家族にとって常に不安をもたらしました。

こういった介護体験があるため、私自身、なりたくない病気といえば脳血管疾患がまず頭に浮かんでしまうところです。
いつ、どんな病気になるか、それによってどんな<治療・介護・看護>を必要とする状況になるか、それは誰にもわかりません。

コントロールできないことに対して悩んだり心配したりするよりも、本来は、自分ができることは何なのかを考えて行動に移しておかなくてはならないはずです。
そんな風に強く思うようになったのは、ガンという病気を身近に感じる機会が増えてきたことが一つの理由です。
私自身が40代を迎える頃から、家族以外の身近に関わる人たちの中に、ガンによって亡くなったり、闘病を迫られたりするということが増えてきたのです。

自分の胸の小さなしこり

そんな数ヶ月ほど前のある日。自分の胸に小さなしこりがあることに気づきました。
「ひょっとして、乳ガン!? どうしよう…」

自分のことですから、見て見ぬふりをしても仕方がありません。すぐさま、その日のうちに、乳腺外科を受診することにしました。
私には、乳ガンの全摘手術を乗り越え、まもなく満5年を迎える“お姉さん”的存在の旧友がいます。

その人自身からガン宣告を受けた時は、大きなショックでした。
が、説得力バツグンのその人のススメで、5年前に初めての乳ガン検診を受けたことがあったのです。
 ※ 乳ガンを扱う専門は何科なのか迷いがちですが、「乳腺専門医」がおられる病院をおすすめします。

特に気になる点はなく検診を受けた5年前とは状況が違います。

触診の段階からすぐに「“何か”があることは確かやね」と先生に告げられ、「やっぱり…」と気持ちはズーンと沈みました。
マンモグラフィー(乳房X線撮影)検査と超音波(エコー)検査を受け、結果が出るまで待合室で待機です。

乳腺外科のみを標榜するそのクリニックは、私と同様の心配を抱える人か、乳ガンの治療を受ける前後の方ばかりです。手術や入院の設備を備えてはいますが、個人病院ですので、待合室にいると、説明をされる先生の声がイヤでも聞こえてしまうのです。

次は私の“審判”だ…と何とも言えない気持ちで待っていた時に、聞こえてしまったのです。
なんと…前の方への「ガン宣告」が。
どうやら私と同じくしこりに気づき、1週間前に精密検査を受けられたようでした。

まさか、他人の「ガン宣告」を目の前(というか“耳の前”?)で受け止めることになろうとは思ってもみないことでした。しかも、私自身が現に“何か”あることを宣告されているのですから、“他人事”ではありません。

私の番が回ってきて、やはりレントゲンとエコーだけでははっきりしないため、細胞検査を受けることになりました。結果は1週間後と告げられました。
受診後の会計も、前の女性の次ということになり、玄関を出た時その方が涙をぬぐっておられる姿は私の胸に重くのしかかったことは言うまでもありません。

もしも、ガンを宣告されたらどう受け止めるのか。その後の時間をどう過ごしていくのか。
何より、夫や子ども達に対して、何をどのように整理し伝えるべきか。

何をしても必ず頭の隅っこに「もし、ガンだったら?」という条件がつきます。

そこからの長いような短いような1週間が始まりました。

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