2014年 第4回 「風林火山・武田信玄から学ぶ“経済格差を埋めるための工夫”」
武田晴信像(高野山持明院蔵)
佐藤 益弘⇒プロフィール
4回目に登場して頂くのは・・・戦国最強・無敵といわれた騎馬軍団を率い、伝説的な人物像が世間に広く浸透している武将。
そう、甲斐の虎とも龍とも言われ活躍した 風林火山“武田信玄” (たけだしんげん)です。
このコラムは、2014年に執筆した マイアドバイザーコラム 「歴史から学ぶお金の話」シリーズの加筆修正版のコラムです。
はじめに・・・
最近は、50歳代、60歳代のご自宅(中古住宅)の対処~買換えやリフォーム、賃貸物件への変更、空き屋対策などのFP相談が増えています。
こんにちは、お金の家庭教師こと、株式会社優益FPオフィス・CFP®認定者の佐藤益弘です。
さて、4回目に登場して頂くのは・・・戦国最強・無敵といわれた騎馬軍団を率い、伝説的な人物像が世間に広く浸透している武将。
そう、甲斐の虎とも龍とも言われ活躍した 風林火山“武田信玄” (たけだしんげん)です。
そんな戦国最強と言われた 武田信玄 も経済≒収入を安定化させるためには、相当苦労したようです。
今回は、それをどのように克服したのか? 少し垣間見てみたいと思います。
武田信玄とは、どんな人?
プロファイル(略歴)は、以下の通りです。
武田信玄・・・と言えば、風林火山ですね。
徳川幕府が成立してから著しく評価を落とされた 「天下人・豊臣秀吉」 とは対照的に、風林火山・武田信玄は 「大御所・徳川家康を三方ヶ原の合戦などで苦しめ、人間としても大きく成長させた人物」として高く評価されました。
事実、本能寺の変後、家康が駿河・甲斐・信濃の3カ国の領有に動き、武田の旧臣を積極的に自分自身の家臣にリクルートしたのはあまりに有名な話で、その後も家康が天下を治めるまで信玄の手法を積極的に参考にした=手本にしたことも、神格化された一因なのでしょう。
実際に江戸時代を通じて、幕府が甲斐を一国丸ごと天領(=江戸幕府の直轄地)とし、三代将軍家光の頃の甲斐甲府藩は、上野館林藩とともに御両典(ごりょうてん)として、御三家に次ぐ高い家格を持っていましたし、六代将軍・徳川家宣(とくがわいえのぶ)は元々、甲斐甲府藩主でした。
(ちなみに、五代将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)は元々、上野館林藩主。)
そのように、江戸時代を通じて、甲斐を特別な存在にしたのは、信玄の力だったのでしょうね。
あまり知られていませんが、信玄が統治した頃・・・特に甲斐では後述する「甲州三法」という独自の経済制度が確立していました。
信玄から学べる現代の知恵!
最も学べる点は、「経済格差を埋めるための工夫」でしょう。
人心掌握のためには、今も昔も“経済力”・・・つまり、「安定収入の確保」が大切です。
信玄が当主になった時期は、父親の信虎が治めていた時期から整備されていた棟別諸役(家一間ごとに賦課された税制)が確立し、検地も行われ、領国支配の基盤が整えられた時期です。
ただ、信玄の本拠地である甲斐の当時の石高は30万石弱と言われ、前回の織田信長が治めた尾張の石高(60万石弱)の半分程度で、大きな経済格差がありました。
この差を埋めるための工夫≒ノウハウが、「信玄堤」に代表される大規模な新田開発の実施 と 「甲州三法」という独自の経済制度の確立&運用です。
例えば、「信玄堤」に代表される大規模な新田開発の実施!
甲斐の主な耕作地である甲府盆地は、釜無川と笛吹川という二大河川の氾濫のため、年貢収入が不安定でした。
そのために大規模な治水事業を行い、新田開発を積極的に行うことで、石高を上げていったと思われます。
代表例が、御勅使川と釜無川の合流地点である竜王(甲斐市)で作られた「信玄堤」です。
この堤を作ることで、河川の流れが変わり、河川の氾濫が抑えられると共に、開墾面積を拡大し、収穫=収入も安定化させました。
この手法は、戦のない天下泰平の江戸時代において、もはや領土拡大による石高(収入)UPが期待できない大名家にとって、石高(収入)を上げるためのノウハウとして、大きな役割を果たしました。
甲州三法とは?
信玄が統治した頃・・・特に甲斐では「甲州三法」、つまり“甲州金”“甲州枡”“大小切税法”という独自の経済システムがあり、これらの制度は、明治初期まで運用・容認されていました。
例えば、甲斐には黒川金山や湯之奥金山など豊富な埋蔵量を誇る金山があり、南蛮文化の伝来に伴う掘削技術や精錬手法の向上により、莫大な量の金が産出できるようになった時期でした。
その金で、日本初の金貨である甲州金(碁石金)が鋳造され、その金を治水事業や軍事費に充てることで、他の戦国大名との経済格差を埋めていった事は容易に想像できます。
また、甲州枡は「国枡」、「大桝」「信玄枡」と言われ、統一された独自の度量衡制度が採用される=モノサシを統一することで、余計な不満が起きないようにしていました。
大変残念ですが・・・項数が足りなくなってしまいました。
後は、直接、お会いしたときお話しできれば・・・と思います(笑)。
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