【2012年 第3回】震災が起こった!単身赴任の夫が被災者に!その時家族は・・・
ライフプラン別コラム~単身赴任家庭の家計管理
中村 真佐子(ナカムラ マサコ)⇒プロフィール
東日本大震災から1年が過ぎました。 単身赴任家族にとってこのような災害が起こった時、家族がバラバラな時、言いようのない不安に襲われます。こんな時、精神的に乗り切るには?
昨年の3月11日、地震が起こった時は、家族がバラバラでした。
私は、研修を受けている最中。
一緒に研修を受けていた人たちとともに外に逃げました。
こんなに大きな地震・・・。震源はどこ?
一緒に避難した人が携帯のワンセグでNHKを見ている。「東北だって!」その言葉を聞いた時、背筋が凍りました。夫の単身赴任先です。しかも職場は女川原発。
大きな不安を抱えながら、まずは子供達と思い。急いで家に帰りました。
小学校へ迎えにいきました。家では、息子と一緒にTVに釘つけ。夫の携帯は繋がらない。 しばらくして、今日は会社休んで病院へ行くって朝電話があったことを思い出しました。職場ではなく、石巻にいるんだ!
津波の映像が立て続けにTVに映り、不安は募るばかり。なぜか石巻はTVに映らない。そんな時、「大丈夫」と一言メールが入る。私も「こっちも大丈夫」とメールをいれたものの届いていないよう。後から知ったが、夫も津波から逃げながらも家族の安否を知ることができず、非常に不安だったらしい。災害情報伝言ダイヤルで、家族の安否情報を伝えることができました。
一応大丈夫との連絡だが、その後連絡は途絶え、次の日の夕方ごろ「孤立している」だけのメール。さらに不安は募る。携帯の電池が無いことが予想されました。
とりあえず生きている。
それだけを支えに、動揺する子供達を安心させることに努めました。
そして努めて深刻に考えないようにしました。
ただ、最初の1週間は緊張状態が続きました。その後、少しずつ情報が入り出しました。
職場(女川原発)が安全なこと。
孤立状態から脱して職場へ行き、同僚と一緒だということ。
車も無事。
それだけの情報でしたが、少し安心し、通常の生活に努めました。
最終的に家に帰ってきたのは、地震発生13日後の3月24日。
13日間お風呂には入っておらず、帰ってきてまずはじめにしたことは、お風呂に入ることでした。
単身赴任先で夫が被災してしまった時、残された家族も、単身赴任先の夫も精神的に大きなダメージを受けますが、残された家族は協力しあって、普通の暮らしに務めることができる唯一の事。一時はガソリンを持って迎えにいこうと考えましたが、下手に動かなくて正解でした。
7月までの単身赴任予定でしたが、3月いっぱいで切り上げることに。その際の費用は当然のことながら、会社持ち。被災し、命からがら津波から逃げ、避難生活を余儀なくされましたが、それに対するお見舞い金のようなものは全く出ませんでした。そのような会社の規定はないのでしょう。
このようなことがあると、家族の結束が強くなります。
防災に対する意識も強くなったと思います。
実際に被災していなくても、単身赴任家族にとって、今回の地震は防災意識が高まったでしょう。
我が家の場合は、たまたま無事だったものの、リスクとして最悪なのは夫の死亡や行方不明です。
安否が確認できない時は、現地に出向かなければならなくなります。
現地でも捜索は壮絶なものとなるでしょう。長期戦になることを覚悟して、子供たちの世話などの支援は、親族に甘えてしまいましょう。
生命保険会社は、今回の震災に限り保険請求のできる期間を通常の危難失踪よりも短くしてくれました。
ライフプランでは、このような危機が起こった場合、予備費で対応します。
予備費の使途は、失業した場合の当面の生活費がその主なものでしたが、このような場合にもの使えます。半年分の収入分を備えて準備しておくことは、精神的にも安心ですね。
関東地方でも、震度7の地震が起こるとの報道もされています。逆に残された家族が被災してしまうこともあるでしょう。あらゆるリスクを想定して、準備するとともに、精神的にも強くならなければならないことも覚悟しておきましょう。
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