「愚かなる吾れを友とめづ人は わがとも友(ども)とめでよ人々」【2015年 第8回】

【2015年 第8回 「愚かなる吾れを友とめづ人は わがとも友(ども)とめでよ人々」】
吉田松陰の言葉からから考えるライフプラン

上津原 章 ⇒プロフィール

 

こんにちは。山口県のファイナンシャルプランナー、上津原章と申します。
今回の松陰先生の言葉から考えるコラムでは、松陰先生が死の直前にまとめられたといわれる、留魂録(りゅうこんろく)にある和歌から取り上げたいと思います。

まずは、この言葉の意味から考えてみたいと思います。意訳しますと、

「皆さんは、愚かなる私を友として気に入ってくれていたのであれば、私の友人達も(私と同じように)気に入ってほしい。」 ※めづ…愛する、賞賛する、気に入る。

といったことではないでしょうか。

松陰先生には、松下村塾などで教えた教え子や、同じような志を持って共に学んだ仲間がいました。だから、松陰先生がおられなくても、教えたことや一緒に学んだことはそれぞれの人の心の中にあるということをわかっておられたのだと思われます。だからこそ、教え子や学んだ仲間を私だと思って気に入ってお付き合いをしてほしいという強い気持ちとして現れたのでしょう。

もうすでにお気づきの方もいらっしゃると思われますが、冒頭の言葉は大河ドラマの主題歌のカギとなる言葉として中に織り込まれています。松陰先生の妹であり彼とずっとそばにいた文(美和)だからこそ、彼同様に気に入ってもらって、彼の遺志をいろいろな人に伝えることができる。といった思いが主題歌の歌詞の中に隠されているように感じます。

<この言葉から考えるライフプラン>

FPの先輩から以前、

「葬儀に参列される人を見れば、その人がどのように生きてきたかが分かる。」

といわれたことがあります。実際に、FPの先輩がそのお客様にライフイベント表を作成してもらう際に同席したことがありますが、

「自分の葬式があった時に誰が来てくれているかを思い浮かべてから、逆算してライフイベントを書いてみてください。」

といわれたのには大変驚きました。私自身、

「まだ私の人生はあと30年、40年とあるのに、私が死んだときに執り行われる葬儀のことも思いつかなければ、葬儀にだれが参列するか思いつかない。だから、ライフプランでそこまで考えなくてもよいのではないか。」

と思ったりしたものです。

 

開業して12年が経ち、自分自身の残りの人生をだんだん意識するようになってきました。まだまだ、多くの方々の心に焼きつくような仕事はしていないように感じられます。それでも、

「私の葬儀がもし執り行われたとしたら、誰が来てくれるのだろうか。」

「私の仕事に対する姿勢や魂のようなものを、引き継いでくれる人は現れるのか。」

といったことをよく思ったりします。

皆さまの人生には限りがありますが、人生の中で思ってきたことは、自分ではない他の誰かが叶えてくれるかもしれません。人生に限りがあることを意識すると、皆様が生きている間に、ご家族が皆様の思いをかなえてくれたり、ご友人や仕事仲間が協力してくださったりするのではないでしょうか。

冒頭の言葉は、歌詞として口ずさむには大河ドラマのメロディーのように軽快で格好良くも思えるのですが、言葉を深く掘り下げれば掘り下げるほど、胸に重たく響きます。

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