マイアドバイザー® 顧問 岡本英夫 (オカモト ヒデオ)さん による月1回の連載コラムです。
ファイナンシャル・アドバイザー(近代セールス社;2022年春号以降休刊)の初代編集長として、同誌でも寄稿されていたエッセイの続編的な意味合いのあるコラムとなります。
今回は第8回目です。
岡本英夫⇒プロフィール
わが国のFPの歴史は約40年に過ぎないが、前半と後半に分けるとすれば分岐点は2001(平成13)年だろう。
インフレからデフレへの転換もあるが、FPの学ぶべき内容が大きく変わったのが、2000年から2001年にかけてである。
それ以前と以後では、FPの必要知識も業務内容も様変わりした。
筆者は当時、金融専門出版社でFP部門を担当していたが、FP手帳の資料編や通信教育テキストの内容の全面改定を余儀なくされた。
どちらも年度版であり、いったん制作すれば翌年以降は小幅な改定で対応できるものだが、2002年版については、目次から制作し直したことを記憶している。
では、何がどう変わったのか。
金融制度改革
金融資産運用設計の分野では、それまでの常識が通用しなくなった。
2001年2月、日銀がロンバート型貸出(補完貸付制度)を導入したことで、公定歩合は銀行のマーケットでの調達金利の上限を画する基準貸付金利となった。同年3月には、量的緩和政策を導入・・・。
これにより誘導目標は金利から日銀当座預金残高に変更され、前年にいったん解除されたゼロ金利政策が復活した。
公定歩合という名称は、公に定められた歩合(金利)ということで戦前、戦後を通じ政策金利そのもので、預貯金金利もこれに連動していたが、2001年3月をもってその役割を終えたのである。今日では「基準割引率および基準貸付利率」という名称が用いられているが、公定歩合という名称もいまだに併用されているのは、ご存知のとおりである。
金融商品改革としては、中期国債ファンドや長期公社債投信などは2001年3月までは投資運用会社から予想分配率が提示される一種の金利商品であったが、2001年4月からは組み入れ債券すべてについて時価評価を求められるようになったことから実績分配型に移行した。このため、どちらの商品も急速に魅力を失った。
また、この年の7月には日経225,TOPIXに連動するETFが設定され、J―REITも誕生した。
筆者は8月にTOPIX連動型のETFを購入してみたが、当時は低迷する株価対策の一環とみられていた。9月11日には米同時多発テロ事件が起き、11月にはMMFに元本割れが生じ、その後、商品内容が改善されることになる。
これらと併せて、1997年以降の金融危機の影響もあって長期信用銀行等が発行する利付金融債や信託銀行の貸付信託の取り扱いが停止され、ワイド、ビッグなどの主力商品が姿を消していった。また、投資信託の銀行販売がはじまったこともあって、わが国の金融商品自体が様変わりした。従来の金融商品知識は役に立たなくなったのである。
成年後見制度、介護保険制度
2000年4月から、成年後見制度がスタートした。
それまで「禁治産宣告および準禁治産宣告」という制度があったが、この制度を抜本的に見直したのが成年後見制度である。成年後見制度には法定後見制度(後見・保佐・補助)と任意後見制度があり、FP業務の周辺知識のひとつとなった。
介護保険制度も2000年4月からはじまった。
65歳以上の者が第1号被保険者、40歳以上65歳未満の者が第2号被保険者となり、わが国の高齢者福祉の実態を大きく変える制度創設であった。
それまでの高齢者介護は「長男の妻(嫁)」「娘」に負担を強いていたが、1割負担での介護サービスの利用ができるようになった。
この2つの制度の記述は、2001年版テキストでは制度の紹介にとどめたが、より詳細な記述が必要になった。
そこで2002年版では、成年後見制度をリタイアメントプランニングの最終項目に、介護保険を社会保険制度に追加して、公的年金の平成12(2000)年改正内容と合わせて改訂をおこなった。
確定拠出年金の創設
確定拠出年金の企業型が2001年10月に、個人型が2002年1月にスタートした。
当時は「日本版401K」の創設ということで、2000年以降マスコミでも大きく取り上げられていた。
企業年金の退職給付債務の解消という背景もあり、日本FP協会を擬した資格認定団体設立の動きもFPの注目の的であった(今日のDC協会)。
確定拠出年金の創設は、適格退職年金の廃止、厚生年金基金の代行返上ともかかわる。
銀行、生保会社、一般企業にとっても影響が大きく、FPカリキュラムでは金融資産運用設計、ライフプラン・リタイアメントプランニング、タックスプランニングの各分野にまたがる。
信託銀行や生保会社、証券会社の専門部署の担当者に執筆を依頼した。
このほか、リスクと保険の分野では相次ぐ生命保険会社、損害保険会社の破綻と消費者保護、第三分野の大手生保・損保系生保への解禁などあり、詳細な記述が必要になっていた。
また、当時は団塊の世代が50歳代前半に位置し、バブル時代に契約した定期付終身保険契約を抱えていた。保険の見直しとともに医療保険、がん保険のニーズも高まっていた。
この後、2002年からFP技能士制度がはじまったが、この前後からFP資格取得者の増加が顕著になる。
多くの教育専門会社、予備校などがFP資格取得研修に乗り出し、市販のテキスト、参考書、問題集も数多く発刊された。
これらが相乗効果を発揮して、FPは資格取得ブームの一翼を担うまでになった。
このころ、テキスト執筆やFP受験対策講座の講師を依頼されたFPも多かったはずだ。
当時、一部のベテランFPに執筆および講師依頼が集中しており、新規開拓が必要になっていた。
現在、活躍中のFPの中には、思い当たる人もいると思う。
ちなみに日本FP協会がNPO法人となったのも2001年である。
あれから20年が経過したが、米同時多発テロが起こった2001年を思い出してみてほしい・・・。
この記事へのコメントはありません。