鹿島アントラーズに学ぶビジネスの潮目【2009年 第 10 回】

【 2009年 第 10 回】鹿島アントラーズに学ぶビジネスの潮目 トピックス

松山 智彦(マツヤマ トモヒコ) プロフィール

陸の流刑地?!「鹿島臨海工業地帯」、残り0.0001%に掛けた情熱

鹿島町(現鹿嶋市)にある住友金属鹿島製鉄所は、交通の不便さから社内では「陸の孤島」と言われていました。当時、住友金属には日本リーグに所属するサッカークラブがありましたが、一部と二部の行き来を繰り返していました。
1993年から始まるJリーグに参加すべく、申請手続きを行ったところ、99.9999%参加不可能といわれていました。15000人収容の屋根付きのサッカー専用スタジアムの建設・・・これが残り0.0001%の条件でした。

ビジョンに基づいた準備、短期と長期の戦略

そこで住友金属は茨城県に働きかけました。茨城県も鹿島町の過疎化などの問題解決の方法を模索していました。この両者の思惑が一致し、カシマサッカースタジアムの建設が決まりました。


一方、クラブをプロ化するにあたり、プロサッカー選手とは何たるかをチームに根付かせ、また長期的視点でのクラブ作りをするため、当時としては日本一のレベルであるクラブハウスと、ブラジルの英雄ジーコ元日本代表監督を選手として招聘しました。
Jリーグに参加する短期戦略と、チーム強化、クラブコンセプトを作るためにサッカー先進国からプロ中のプロを招聘する長期戦略。このふたつを同時並行で進め、住友金属サッカー部・・・鹿島アントラーズは初年度からJリーグに参加しました。そしてその年(1993年)のファーストステージ、予想に反して優勝する事ができました。

逆風が吹いている時こそがチャンス、逆張りの戦略

バブル景気がはじけた95年、Jリーグの各チームが投資を見合わせる中、「ビッククラブに勝つためには、今こそチャンス」とみて鹿島アントラーズは投資を増やしました。94年ワールドカップに優勝した時のメンバーで両サイドバックのレギュラーだったレオナルドとジョルジーニョの獲得です。

彼らが中心になってチームが強化され、96年には初の年間チャンピオンになりました。97年には、大手金融機関が倒産する中、今も語り継がれるぐらい”カシマ最強チーム”で天皇杯とJリーグカップを獲得、Jリーグは惜しくもライバルのジュビロ磐田に屈して2位になることができました。2000年にはJリーグ初の3冠輝くほどの強豪チームに成長していきました。

世界が街にやってきた!日韓ワールドカップ茨城会場

日韓ワールドカップの会場として極東の街、カシマスタジアムでは3試合開催されました。2001年には大陸別チャンピオンのコンフェデレーションカップが開催され、カメルーンvsブラジルの試合が開催されました。ワールドカップが成功した理由のひとつに、鹿島ならではのおもてなしがあるといわれています。

カシマスタジアムを訪れるサポーターは、単にサッカーの試合を楽しむだけでなく、スタジアムをサロンとして、活用しています。それは若年層だけでなく、高齢者も社交の場として酒を呑み、会話を楽しみ、そしてアントラーズを応援する。他のクラブサポーターがカシマスタジアムを訪れたときの驚きは、それを証明していると思います。

世の中の流れにあわせ、先進性と伝統性の両方を兼ね備える

2002年に9冠目を獲得してから5年間、優勝に見放されます。その間、ガンバ大阪、浦和レッズ、ジェフ千葉などがチームを強化していき、強豪鹿島の名前がどんどんうすくなりつつありました。

2006年頃の欧州では、実績・経験・ビジョンを持った監督を獲得してチーム強化を図る方法が採用されていました。鹿島アントラーズはその流れを汲み、クラブチャンピオンの監督の獲得に乗り出しました。07年に監督になったオズワルト・オリベイラ監督は”モチベータ”と言われ、選手やその関係者のモチベーションを上げる事に長けていました。

そして大逆転優勝と同時に5年間待ち望んだ10冠目の優勝を獲得しました。先進性をもちつつも93年にジーコとともにやってきたチームコンセプト・チームスピリッツを継承した優勝でした。

まとめ:低迷しても希望を失わないために

Jリーグの歴史をみた時、93年~95年は日本リーグ時代からの強豪だったヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ1969)と横浜マリノス(現横浜Fマリノス)が中心でした、96年~02年はジュビロ磐田が、03年以降は浦和レッズ、横浜Fマリノス、ガンバ大阪が優勝争いに顔を出すようになりました。鹿島アントラーズはそのいずれの時代にも常に優勝争いに名を連ねています。その理由は、クラブ創世期にいつでも振り返る事ができるベースをしっかり作った事にあります。

「ジーコスピリッツ」と言われるクラブコンセプトは、クラブが低迷した時でも彷徨うことなく、立ち直りに道筋を与え、選手・スタッフがクラブを離れても、クラブに顔を出す事ができる、「クラブはファミリー」だからこそできる強さの秘密だと言われています。
軸(マインド、コンセプト)がぶれず、しかし新しい事(技術、手段)を導入する、風を読みチャンスを掴む。

鹿島アントラーズの強さに私はいろいろなことを学ばせていただきました。今日も私は、心のふるさとであるカシマスタジアムで声援を送っています。

参考文献:「常勝ファミリー・鹿島の流儀」田中 滋 著 出版芸術社
     「鹿島アントラーズ・最強11冠の記憶」ベースボールマガジン社

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