マイアドバイザー® 顧問 岡本英夫 (オカモト ヒデオ)さん による月1回の連載コラムです。
ファイナンシャル・アドバイザー(近代セールス社;2022年春号以降休刊)の初代編集長として、同誌でも寄稿されていたエッセイの続編的な意味合いのあるコラムとなります。
今回は第13回目です。
今回からセカンドシーズンに突入しました。
岡本英夫⇒プロフィール
わが国にFPビジネスが登場してから40年あまりが経過したが、独立自営のFPビジネスを支えてきたのは、女性FP諸氏ではなかっただろうか。
初期から現在まで第一線で活躍を続けるFPも少なくなく、また、若手で活躍するFPが次々と出てきている。
今回は、女性FPの多くが所属する「女性FPの会=WAFP」の成り立ちから現在までを、筆者なりに紹介してみたい。
WAFPの誕生まで
筆者が、FPに携わり始めた80年代半ば、FP会社としては82年に井畑敏氏が設立したMMI(マネー・マネジメント・インスティチュート)しかなかった。
井畑氏、野田真氏をはじめMMI出身のFPは数多いが、当時、女性としては中村芳子さん、浅田里花さんのほか数人が所属しており、彼女たちがわが国女性FPの草分けといえる。
86年1月、日本FP協会の前身であるDFP(ダイヤモンド・ファイナンシャル・プランナーズ)が全12回の「ファイナンシャル・プランナー養成ゼミナール」を開講する。
この受講者の一人がマネー・ライターだった故小野英子さんで、女性誌や創刊間もないマネー誌、新聞等の家計診断などで活躍されていた。
日本FP協会の発足は87年11月、第1回CFP®試験が93年5月だが、その93年の春先、小野英子さんから女性のFPグループを立ち上げたいと聞かされた。
中村芳子さん、木村佳子さん、畠中雅子さん、大阪の山元君枝さんと話がすすんでおり、設立に向けた会合を持つので、立ち会わないかとのこと。
取材にもなるし、参考意見くらいは言えるだろうと引き受けた。
渋谷の中村芳子さんの事務所に小野さん、木村さん、畠中さん、山元さん、筆者が集まり、女性FPのグループ名をWAFP(Women’s Association for Financial Planners=女性FP協会)とし、協会長に中村芳子さん、事務局長に小野英子さんということで、設立に向けて動きを開始することになった。
そして、同年11月、女性FP協会(WAFP)が発足した。
女性FP協会の参加メンバーは全員日本FP協会の会員だったが、女性同士のゆるやかな連携を目指し、法人、団体、個人(男性)も賛助会員制度により加われるというものだった。
設立メンバーに限らず雑誌やテレビ、講演等で活躍するメンバーも多く参加、全国に支部を展開しながら女性FPの活動のよりどころとなっていった。
確か、新橋の某損保の会議室だったと思うが、設立総会が開かれた。
全国から多士済々な女性FPが駆け付け、各々が自己紹介を行った。
このメンバーが東海、北陸、関西、九州でWAFPだけでなく、後年の日本FP協会の各支部、スタディ・グループの主要メンバーとして活躍していく。
名称変更後もWAFPの名は残る
その後、女性FP協会は「女性FPの会」「女性FPの会・連合会」となり、2000年からは全国のブロックごとに活動を続けているが、WAFPの名称は今日まで続いている。
初期の活動を支えた設立メンバーのほか、関西の石津史子さん、九州の故森恵子さんのそれぞれの地域で果たした役割は特筆すべきものがあると思う。
いったん休刊となっていた月刊ファイナンシャルアドバイザー誌は98年に再創刊にこぎつけるが、WAFPからは中村芳子さん、故森恵子さん、畠中雅子さんに輪番で連載コラムをお願いした。
連載執筆者として浅田里花さん、竹下さくらさん、八ツ井慶子さんなどのほか、多くの女性FPに登場いただいた。
その後、筆者が現役を離れたことでWAFPとの交流はほとんどなくなったが、関東、関西、九州の各WAFPは、世代交代を経ながら活動を続けている。
男性中心の組織であれば、こんなに長く続くことはなかったように思う。
ちなみに筆者のいた近代セールス社は、現在もWAFP関東の賛助会員である(名前だけかな?)。
実は・・・
女性FP協会(WAFP)は当初、日本FP協会からは疎んじられた。
「協会」と名の付くFP組織の存在が許せなかったようだ。
小野英子さんは協会名の継続を望んでいたが、「女性FPの会」への名称変更を余儀なくされた。
各ブロックでの活動となったのも、会員の増加に伴い、事務局が対応できなくなったことが一因である。
マイアドバイザーの会員の中にもWAFPの会員や、かつてWAFPに所属していた女性FPが少なくない。
顧問の大江英樹さんと最初にお会いしたのも、WAFP関東の総会でのことだった。
WAFPは貴重な出会いの場でもあった。
コロナ禍でここ数年、活動自粛もあったと思うが、さらなる発展を期待したい。
この記事へのコメントはありません。