【2011年 第5回 】今と変わらぬ結婚事情? ~ウチの家計簿、武士の家計簿~
西谷 由美子(ニシタニユミコ)⇒ プロフィール
もうすぐ六月、ジューン・ブライドですね。平均寿命も短かった昔ですが、婚礼にかかる費用は今と変わらず大変そうです。
先日祖母と話していた時のことですが、祖父に召集令状が来て、たまたま夫婦で遠い異国で勤務していたため、たった二人で出征前夜の食事を迎えたそうです。 地元なら親戚一同を招いて尾頭付きの御膳を出して・・が可能だったでしょうが、物資も乏しく「イワシの干物で尾頭付きの御膳という事にして、、、頭が取れないように苦心してねぇ」ということでした。奇跡的に生きて除隊、内地に帰ることも出来て今では笑い話ですが。
持参金は生活保障に
で、「武士の家計簿」でも節約のため、お祝い善に本物の鯛ではなく、半紙に書いた鯛の絵を料理の代わりに出した・・というエピソードがあったのを思い出しました。なんだか微笑ましいというか。でも逆に、「長男のお祝いに比べて女の子に費用をかけなさすぎなのはけしからん!」というご意見も聞こえてきそうですが。でも意外と当時は女の子に関しても「多額の費用」がかかっていたそうです、特に「婚礼費用」なんて、身分や家柄が影響して、ジミ婚なんてもってのほかだったとか。
ご存知かもしれませんが、当時は「持参金」という制度がありました。「家同士の結婚で本人の気持ちが・・・」という批判もありますが、江戸の時代って今思ってる以上に「離婚」も多くて。習慣として持参金は離婚して嫁ぎ先を出るときはそっくりそのままお返しする、というお約束だったんですって。万一の時の生活保障みたいなものだったんですね。
篤姫さまの持参金なんか10万両(石とも)とかで、さすがにこれは将軍家への御輿入れで例外ですが、武士に限らず裕福な町人でも5~10両の持参金が、親のメンツも関係して常識であったそうです。いつも使用する換算表によりますと150万円から300万円ですか?これ、現代の結納の倍以上じゃありません? 福岡はよく「末広で88万円」っていうもので。
多額の婚礼費用等は両家から
実は「武士の家計簿」では猪山家のご長男成之クンの結婚に関する資料には、この持参金について詳しい記録が残っていないそうです。いとこのお嬢さんとご結婚された成之クン、当時17歳。今のようにホテルや結婚式場はありませんので自宅で披露宴をされたそうですが、、、
式自体の費用が銀で約60匁、料亭から70人分の料理を取り寄せ、その費用が銀390匁だそうです。銀1匁を約4千円とみると、お式に24万円、披露宴に156万円!う~ん、一流ホテルでの披露宴パーティみたいな気持になっちゃいました。
その他にも若夫婦のために二階を増築する手間もかけていらっしゃいます。ただし、新郎側が負担するだけではなく、成之クンのお母様もそうですが、新婦の実家側も、のちのちまでの負担がお約束としてあったよう。これは現在でも地方の習慣で残ってる事例に似ていますよね。「出産の時には奥さんのご実家に里帰りする。初節句などは奥さんのご実家からの援助でいろいろ揃える。」とか。猪山家の記録では、そのたびに奥様のご実家からお料理や現金の援助があったことになっています。赤ちゃんの産着代全額とか、御祝い金に銀30匁とか。男女にかかわらず、武家の家柄は庶民に比べて格式ばった儀式が多くて大変だったとか。 ただし庶民と違いそのようなことを数多く経験していく中で、武士の心得、武士の妻の心得が身についていった、とおっしゃる方もいらっしゃいます。たしかにそうかもしれませんね。
結婚適齢期が14~17歳の理由
一説によれば当時の平均寿命は40歳前後、結婚適齢期は14~17歳。今のようにのんびり「婚活」にかまけていたら、一生が終わってしまいそう。家を守る、一族を絶やさない、そんな熱い思いがあるから、短い人生でも、今より生活に費用が掛からない時代であっても今と変わらぬどころか今以上の費用をかけて、新郎新婦の門出を祝っていたのかもしれませんね。
好奇心から費用のことをあれこれ調べておりましたが、それはそれ、いつの時代であっても若い二人のこれからの人生に幸多かれと祈ってしまうのは、、、私が歳を取ったからでしょうかね~。
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