【 2009年 第 6 回 】古典を読む(自由について) 長期的視点
恩田 雅之(オンダ マサユキ)⇒プロフィール
アダム・スミスとミルトン・フリードマン
アダム・スミス、ミルトン・フリードマンは共に経済活動における政府や国の関与を最小に抑えて、政府や国はルールを作り審判に徹することを主張した経済学者です。
アダム・スミスは古典派経済学者、ミルトン・フリードマンは新・古典派経済学者になります。
アダム・スミスの「見えざる手」という言葉が有名です。国富論では、各人が社会全体の利益を考えて行動するよりも、自分の利益を増やすことを意図して行動する方が、効率的に社会利益を高められることを説明する時に使われた言葉です。
ミルトン・フリードマンの「資本主義と自由」の中では、独占と政府介入は効率的な経済の発展を妨げる批判し、教育や年金、貧困について政府がやるべきことについて提言をしています。
2冊の本を読んで、「資本主義」、「共産主義」、「自由主義」、「保護主義」、「コントロール」、「グローバル化」、「生産者」、「消費者」といった言葉が私の頭に中に浮かびました。
コントロール
経済活動を政府や国が介入して「コントロール」できるか、できないかで大まかに考えますと、コントロールできないと考えるのが「資本主義」、コントロールできると考えるのが「共産主義」になるのでしょう。
各人の利益の極大化を目指し徹底した分業を行う「自由主義」と、国や政府が育成する産業を決めて関税などにより、その産業や労働者の保護を図る「保護主義」として経済活動をコントロールできる、できないで分けてみますと、「自由主義」ができない派、「保護主義」ができる派になるかと思います。
ちなみに、わたしはコントロールできない派です。
グローバル化による経済バランス
「グローバル化」、「生産者」、「消費者」という言葉で考えたことは、交通や通信の発達により世界各国の距離感は縮まりましたが、逆に「生産者」と「消費者」距離が猛スピードで広がってしまい、その歪によって「グローバル化」した経済のバランスを悪い状態になり、今はその調整段階になっているのではないでしょうか。
サブプライムローン問題をきっかけに起こった今回の経済危機が、収束した後「グローバル化」した経済活動がどのような形でバランスを取っていくのか、G20などの国際会議の動向などをみながら自分なりの視点を持って考えていきたいと思います。
資本主義と密接に結び付いていたと考えられていた民主主義が、中国などの新興国の台頭によって、「民主主義が資本主義の発展に対して必要条件なのか?」という疑問も出てきています。こちらも、経済危機が収束した後、各国の政治体制がどのように変化していくのかについても、強い関心を持ってみていきたいと思います。
「国富論」、「資本主義と自由」2つの本を読むことで、今までの自分とは別の視点で、世の中の出来事や経済活動を見ることができるようになったと感じます。
この記事へのコメントはありません。