海の中国【2009年 第 7 回】

【 2009年 第 7 回 】海の中国 もう一つの日中関係 黒潮枢軸

大山 宜男(オオヤマ ノブオ)

第4回「アヘン戦争と上海の発展」での予告編で次は「オフショア的日中関係」と「オンショア的日中関係」に入って行くと言いながら第5-6回は少し寄り道をしてしまいました。いよいよこの連載の核心に入って行きます。

中国共産党による資本主義の功罪

2009年10月1日、北京は中華人民共和国建国60年記念日を熱狂的に祝福しました。大雑把に言えば前半の約30年は毛沢東主導型で社会主義をやった時代、後半の約30年は鄧小平主導型で資本主義に乗り換えた時代、そして60年連綿と続けたものは中国共産党による力の支配だったと言えます。
この中国共産党による資本主義の功罪は、単純化すると、富国強兵に成功したが国内に大きな格差や歪をもたらしたこと、あるいは人々を拝金主義に変えていくなかで民主化の動きを封じ込めてきたことなど色々あるでしょう。
赤貧の生活をしていていた13億の民が経済的な離陸を果たし今や先進国の仲間に入りつつある現実を見た時、その巨大な重量の13億人をのせたジャンボジェットを離陸させたという意味で後の30年は、それなりに成功を認めざるを得ないと私は思います。

この成功をもたらしたものは
①鄧小平による南巡講話以来の国有企業と国内経済の改革
②同時に鄧小平がとった対外開放政策
③同時代にアメリカが繁栄し中国輸出型製造業の潤沢な「外需」となった時宜
④優秀だが低廉で勤勉な労働力の存在
⑤国内市場の漸次形成
の5点だと私は整理しています。
しかしこれは経済学的な整理です。
これをもっと社会学というか文化人類学というか異なった視点から見たときに、「海の中国」が中国大陸へ逆進出したことで「陸の中国」を変えて行ったという見方が出来ると考えます。

「海の中国」「陸の中国」

連載第4回で上海華商による上海ネットワークの話をしました。ここでの要点は長崎・神戸・横浜・釜山・琉球・台湾という東シナ海をトータルで押さえる情報と貿易の総合商社群としての上海華商、また揚子江を南京・武漢・重慶へと上がる長江貿易を押さえる上海華商は、この地域空間全体を経済的に支配した帝国であり、日本、朝鮮、清・中華民国との国境は問題ではなかったのです。
むしろ国境や為替管理を逆手にとって利益をあげサブスタンシャルな利益はタックスヘブンへ貯め込みました。

中国大陸を治めた為政者は土地を押さえはしたものの彼等の富や帝国は見えないし掴めないものでした。毛沢東型の30年間、この経済帝国は中国大陸という地面から離れ海へ出て、北米や香港、その他東南アジアの各地域へ押し広げられたものの、その活動とネットワークはますます発展しました。私はこれを海の中国と呼んでいます。

毛沢東型の30年間、中国大陸は潤いの無い乾燥した土漠のような経済社会、ここに跋扈したものは官僚政治と不自由、平等と貧困であったと言えるでしょう。私はこれを陸の中国と呼んでいます。

中国を知れば知るほど、科挙に代表される文民統治=巨大な官僚機構の歴史とそれを支える社会・伝統を認識せざるを得ません。しかし、こういう科挙型社会を嫌い西欧型の自由を希求したもう一つの中国も厳然と存在します。華南地方や上海地方を中心として内陸を向かず、海外を向いて、政治よりはオカネを志向して来た中国です。

以上述べたことを模式化してみると次のようになります。

 

 

 

 

 

さだめし、ヨーロッパで言うと、「海の中国」がイギリス・スペイン・イタリア的イメージであるのに対し、「陸の中国」はロシア・ドイツ・フランスの一部というイメージです。

「陸の中国」は鎖国、「海の中国」は独自の発展を遂げた

私の見方ですが、毛沢東型の30年は「陸の中国」が鎖国をし「海の中国」は独自の発展を遂げた時代だったと思います。鄧小平が行ったことは鎖国を沿海部から少しずつ解いて行き海の中国の大陸への逆進出を促進したことではなかったでしょうか。

直接投資額という中国進出のデータは国別の数字が出ているものの、アメリカの中の華商、カナダの華商、インドネシアの中の華商という風に「海の中国」全体の数字はわかりません。常識で考えて魑魅魍魎の世界であった初期の「陸の中国」へ投資したのは統計上はアメリカと分類された「海の中国」だった可能性は極めて高いのです。
即ち、今日の中国の発展の本質は鄧小平によってスタートされた「陸の中国」と「海の中国」の弁証法的発展なのではないか、これが私の見方です。

黒潮枢軸とは日本と「海の中国」との連帯

私の言う黒潮枢軸とは日本と「海の中国」との連帯を言います。連載の第1回から第6回まで述べてきたことの一貫性は日本との精神的・文化的関係は「海の中国」が極めて強い一方、基本的にフォーマルな日中関係を牛耳っているのは「陸の中国」で威張っている北京の官僚達であり、このフォーマル関係を改善するカギは「海の中国」が握っているということなのです。どうか皆さま、第1回から第6回までのせめてタイトルだけでも見直して頂き、私の主張の一貫性に「なるほど!」と気づいてください。

何度も繰り返して来ましたが生物は海と陸が接するところに生まれ、人類の経済活動もそこでこそ活発化し、富の蓄積もその地域で為されてきました。ここから内陸にあって政治や官僚の統治下にある地域をオンショアと呼び、逆にここから海外へ向かい自由な経済活動が出来る地域をオフショアと呼びます。「海の中国」のDNAはオフショアであり、「陸の中国」のDNAはオンショアだと、私は殆ど断定しても良いくらいかと思っています。

少し言葉が踊る面はありますが、私は日本と「陸の中国」の関係をオンショア的日中関係、「海の中国」との関係をオフショア的日中関係と名付けたいものです。

日本人には「海の中国」のDNAともう一つ「トルコ→モンゴル→朝鮮というウラル・アルタイ語系の遊牧民」が島国に行きついて長い時間が経過したDNAとが混じり合っていると言われますが、華北平原を中心とした「陸の中国」はそのいずれでもなく、日本からは遠いのです。
だから日中関係は時々ギスギスする。

オフショア的日中関係=黒潮枢軸を強調したい所以なのです。

 

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