池田龍也 の ちょっと気になるニュースから 【第11回】 ~日本からテレビが消える日?~

マイアドバイザー® 池田龍也 (イケダ タツヤ)さん による月1回の連載コラムです。

【第11回】 池田龍也 の ちょっと気になるニュースから ~日本からテレビが消える日?~

池田龍也プロフィール

▼ パナソニックがテレビ事業から撤退か?

2月初め、このニュースが流れてびっくりしました。かつて世界を席巻した日本の電機産業、その中でも代表格だったパナソニックが、いまやそこまで追い込まれているのかという驚きでした。

ニュースの内容は以下の通り

<パナソニックHD 構造改革へ テレビ事業見直し売却撤退含め検討>

2025年2月4日

パナソニックホールディングスは、2025年度からグループの構造改革に乗り出す。事業の見直しや人員の削減などを通して、3000億円以上の収益改善を目指す。その構造改革で、テレビや家電といった収益性が低い事業を見直し、このうちテレビ事業は、売却や撤退も含めた検討も

説明会では、テレビやキッチン家電など四つの事業について、収益が少なく、成長も見通せていないと指摘。2026年度末までに「事業あるいは商品・地域からの撤退や、ベストオーナーへの事業承継を含む抜本的な対策を講じる」とのこと。

パナソニックホールディングスはその後テレビ事業について「売却・撤退も含めて現時点で決定している事実はありません」と付け加えましたが、検討中というだけでも十分すぎる衝撃でした。

▼ テレビ産業は日本の主力産業だった

パナソニックは、ご存じの通り昔は、松下電器産業といっていました。テレビ発売は1952年だそうです。ブラウン管時代、白黒からカラー、地上デジタル放送が始まった2003年には、プラズマや液晶の薄型テレビへと変遷。

日本の産業をけん引してきた企業のひとつ、といって異論はないと思います。しかし、その後液晶が主流となり、14年にプラズマ事業終了。中国などの海外メーカーとの競争も厳しく、今に至っています。

▼ 日本のテレビ産業の歴史

日本のテレビ産業の歴史を簡単に振り返ってみます。次のグラフが、20世紀の日本のテレビ産業の繁栄と転換点を示しています。かつて、筆者が、業界団体のデータをもとにつくったグラフです。手作り感が満載なのはご容赦いただければと思います。

1985年日本のテレビ産業は年間1800万台のテレビを生産していました。ここでいう生産は日本国内での生産ということです。そしてそのうち1400万台近くを輸出していたことが分かります。この日本の輸出攻勢によって、欧米の主力メーカーも厳しい競争にさらされたわけです。ところが転機はこのピークの直後にやってきます。あの「プラザ合意」です。

1985年、貿易赤字に苦しむアメリカ経済を立て直すため、先進国5か国の蔵相たちがニューヨークの名門「プラザホテル」に集まり、それまでのドル高を是正することで合意したものです。

(プラザ合意のまとめは筆者作成の次のメモを見ていただければと思います)

▼ プラザ合意以降の日本のテレビ産業

テレビ生産のグラフに戻っていただくと、この1985年を境に日本のテレビ産業の国内生産は、急速に縮小します。なぜでしょうか?

この「プラザ合意」の後、日本の為替は急激に円高に振れていきます。1ドル260円があっという間に120円という、とんでもないことが起きてしまいます。海外で1ドルで売って260円の売り上げになっていたものが120円になってしまったわけです。同じものを売っても売り上げは半減という、製造業にとっては致命的、もはや「生きるか死ぬか」というような状況が生まれていきます。

そこで日本のテレビメーカーは何をしていたか。もちろん、座して死を待つのではなく、当然次の手を模索します。それは何だったのか?

円高の影響を回避するために、日本からの輸出ではなく、工場を海外に移転して海外の工場から世界市場へ輸出する方向に大きく舵を切ることになります。

▼ テレビの輸出入が逆転!

テレビ生産のグラフには、もうひとつ大きな転換点が見えています。1993年です。いまから30年余り前のことです。紫の線が輸出、黄色の線が輸入です。1993年の時点で、輸出が下降線になり、輸入が急増し、交差していることがわかります。

テレビメーカーがぞくぞくと工場を海外に移転して、国内生産が減り、それとともに日本からの輸出もどんどん減っていきます。当初は海外への輸出を、日本の工場からではなく海外の工場からの輸出に切り替える流れでしたが、さらに見直しが進んでいくと、日本市場へも海外の工場から輸入してくる逆流の流れが加速していきます。海外生産の製品の品質も徐々に上がってきたため、品質の要求レベルが高い日本市場へも投入できるようになったという背景がありました。

そして1993年、日本のテレビ産業は、日本市場で、輸出と輸入が逆転する結果になります日本のテレビ産業の構造転換の歴史がこのグラフにあらわれています。

▼ パナソニック、マレーシアに一大生産基地建設

この1993年の転換期に焦点を当てて、その当時、筆者は松下電器産業(現パナソニック)のテレビ事業の最前線を取材することになりました。取材の目的は、「どうする平成不況」という大型番組で松下の戦略を紹介するためでした。日本経済は円高不況にあえいでいる真っ只中ですから、取材を受けてくれるところがなかなか見つかりませんでしたが、松下だけは、すべてお見せしましょうといってくれました。

松下は、当時すでに、東南アジアのマレーシアにテレビ生産の巨大な生産基地を立ち上げていました。マレーシア国内最大の工業団地といわれた「シャーラム工業団地」というところに、日本にかわる輸出拠点として、巨大な工場を稼働させていたのです。

▼ パナソニックの戦略については続編でご紹介

詳細は次回続編に譲りたいと思います。日本の製造業がいかに時代に対応してきたかを、松下のマル秘の資料や当時の取材メモをひもときながら詳細にご紹介していきたいと思います。日本の製造業の長期戦略や底力を確認することができます。そのテレビ産業が、もし見直しを迫られているなら、時代は、新たな転換点を迎えているのかもしれません。

 

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