岡本英夫のFPウオッチャーだより 第27回 卒業したがん診療連携拠点病院での相談業務      ~忘れられない「がんサバイバーFP」諸氏②~

マイアドバイザー® 顧問 岡本英夫 (オカモト ヒデオ)さん による月1回の連載コラムです。
ファイナンシャル・アドバイザー(近代セールス社;2022年春号以降休刊)の初代編集長として、同誌でも寄稿されていたエッセイの続編的な意味合いのあるコラムとなります。

今回は第27回目です。

岡本 英夫 ⇒ プロフィール

~ 小野 瑛子さん ~

出会いは住生「LAVIE青山」

小野瑛子さんとは1989年9月にオープンした住友生命の来店型ショップ「LAVIE青山」でお会いしたのが最初である。「LAVIE青山」には出店の企画段階から携わり、月1回行われるイベントのテーマ設定、ゲストスピーカーの人選などを任されていたのだが、来店の多いヤングママ向けにライフプランニングの講師役をお願いしたことによる。

その後はファイナンシャルアドバイザー誌の執筆、座談会への参加、金融機関講師、沖電気とジョイントしてのFP・家計簿ソフトの企画・制作などをお願いした。1993年には小野さんからの依頼で、女性FP協会(現WAFP関東等)の設立準備にも関わった。当時の小野さんの事務所は阿佐ヶ谷にあったが、その後、五反田に移転された。

小野さんは65歳のとき(2004年)、甲状腺機能障害を発症し、甲状腺がんの疑いで甲状腺の全摘手術を受けられた。このころ一時筆者との連絡は途絶えたが、回復された2012年暮れには生活デザイン㈱取締役社長としてファイナンシャルアドバイザー誌の巻頭インタビューに登場いただいた。「小野さん、元気になられたんですね」との反響が多かった。

小野さんが肺がんに罹患されていることを知ったのは、2015年夏のことだった。藤川太さんか八ツ井慶子さんからだったと思うが、小野さんの生前葬を行うということで参加を打診されたのだが、あいにく地方出張の日と重なっていて参加は断念した。その時に「がんと暮らしを考える会」での講演依頼をお願いしてみることを思い立ったのである。

医師・看護師の前では「かわいいおばあさん患者になること」

前打ち合わせはほとんどできずに2016年1月21日のセミナー当日を迎えた。最初に小野さんが話されたのは、「かわいいおばあさん患者になること」。入院すると医師や看護師との付き合いがはじまる。パソコン画面ばかり眺め、患者のほうを見ない医師や、若い看護師さんの対応に、年配者としてはいらだつことも多かったという。

しかし、そこでむっとしてはだめで、つとめて明るく接することだという。周りの患者さんのなかには、いらだちのあまりケンカ腰で接する人もいるが、何の得にもならない。小野さんは努めてかわいいおばあさん患者になることを心掛けたそうだ。男性の年配者なら優しいおじいさん、というところだろう。

後年、筆者は手首を骨折、手術のため10日ほど入院した。検査での待ち時間の長いことや、ぼそぼそと小さな声でマスク越しに話す医師、医療スタッフに閉口したが、小野さんの言葉を思い出し、挑戦的になりがちな性格を抑えることができた。おかげでこの時の医療スタッフとは今も付き合いがある。

リビングニーズ特約の診断書について

小野さんの余命について主治医は簡単には教えてくれなかったそうだ。かわいいおばあさんのふりをして誘導するように聞くと「肺炎を起こせば明日かもしれない」とのこと。それなら悔いのない最期を迎えるためにお金が必要になる。やり残していることはやっておきたい。リビングニーズ特約による生前給付金が頭に浮かんだ。

小野さんは、53歳のときプルデンシャル生命の終身保険にリビングニーズ特約を付けて加入していた。余命6か月と診断されれば、死亡保険金を生きているうちに受け取ることができる。主治医に診断書への記載を求めたが、確定的な診断書は書けないという。そこで小野さんはプルデンシャル生命に相談することにした。

結果、小野さんの保険契約を取り扱った担当者が直接主治医に面会、「小野さんの希望どおりの生き方をしてもらうために余命を告知してください。仮に6か月以上生きても医師の責任や保険金の返還を求めることはありません」と説得してくれたのである。その担当者も小野さんに請われる形で勉強会に出席して補足説明をしてくれた。

診断書は原則主治医にしか書けないが、医師の日常は多忙で診断書を記載する時間はなかなか取れないのが現実。また、人間の死期の判断など簡単にできるものではない。筆者も医師の書いた診断書を相談者から見せていただいたことがあるが、殴り書きのような診断書も多い。仕事とはいえ診断書の記載は医師にとって悩みの種なのだという。

保険担当者の力添えもあって小野さんは保険金を受け取り、それを4等分して息子と娘、自分の医療費、そして自分のやり残したことに使うことにした。なお、小野さんが亡くなったのは2018年10月30日。余命診断から3年あまりが経過していた。その間は幼い日の被爆体験をもとに「原爆語り部」として活動された。筆者の地元公民館、中学校でもお話しいただいた。

<小野瑛子さんプロフィール>

1939年広島市生まれ。青山学院女子短期大学英文科卒。新聞・雑誌などのマネーライターを経て、1987年日本FP協会のFP資格を取得し、第1回CFP®取得試験に合格するも、その後、AFP・CFP®とも更新せず、無資格のファイナンシャルプランナーとして活動。また、晩年は原爆語り部として全国各地の小中学校で講演を続けられた。生命保険やライフプランなどに関する著書多数。薫陶を受けたFPも多い。

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