マイアドバイザー® 顧問 岡本英夫 (オカモト ヒデオ)さん による月1回の連載コラムです。
ファイナンシャル・アドバイザー(近代セールス社;2022年春号以降休刊)の初代編集長として、同誌でも寄稿されていたエッセイの続編的な意味合いのあるコラムとなります。
岡本英夫のFPウオッチャーだより、今回は第31回目です。
岡本 英夫 ⇒ プロフィール
マイアドバイザー前顧問である故田中英之さんの動画が、マイアドメンバーに期間限定で公開されていた。懐かしさもあって視聴させていただいたが、FPに携わる者にとってはぜひ再視聴していただきたいと思う内容である。ここでは私自身の感想を述べるのではなく、視聴されたみなさんの感じたことを補完、強化するために氏の経歴、人となりを紹介してみたい。
最初に、田中さんの経歴を、著書である「FPビジネス進化論~FPを目指す人たちへのメッセージ」(2003年、近代セールス社刊)の中から紹介しておく。
<田中英之(たなか・ひでゆき)氏プロフィール>
1933(昭和8)年10月1日生まれ。1957(昭和32)年、立命館大学法学部卒業。三和銀行(現三菱UFJ銀行)入行。1965(昭和40)年、㈱ニューオリエント・エキスプレスに出向。1972(昭和47)年、㈱ジェットツアー(取締役)に出向。1974(昭和49)年、トラベルジャーナル旅行学院の設立に参画、取締役に就任。1975(昭和50)年、三和銀行に復職後、支店長や店頭営業推進センター初代所長などを歴任。1986(昭和61)年、三和銀行を退職。㈱エスエーサービス「プラザ21」を設立。代表取締役に就任。1987(昭和62)年、日本FP協会を設立、初代理事に就任。さまざまな役職を歴任後、1999(平成11)年、学校法人森谷学園・FP教育研究所を開設。
銀行員時代
田中さんは、わが国FP専門会社の草分けである㈱エスエーサービス」(プラザ21)代表取締役、日本FP協会理事としてFP業界の発展に寄与されたが、経歴を見ていただければわかるように前職は三和銀行員である。数か店の支店長を経験されているから、多くの銀行員が「支店長」を目指していたことを考えれば、在職中の評価も高かったはずだ。(ちなみに筆者が最初にお会いしたのは石神井支店長時代である)。
もうひとつ、銀行員時代に旅行会社への「出向」を複数経験されている。当時の三和銀行は個人顧客重視の「ピープルズバンク」路線をとる銀行として顧客応対にも定評があった。旅行業界への出向も、銀行復帰後の管理職としての顧客対応、行員指導等に生かされたものと思われる。物腰がやわらかく、言葉遣いも丁寧で、当時よく言われた銀行員特有の「慇懃無礼」が田中さんにはない。
銀行員としての最後の役職が初代「店頭営業推進センター所長」だが、これは「三和のホームコンサルタント」の担当部署である。三和銀行のホームコンサルタントといえば「挙式前後の出納簿」「子供の教育に関する意識調査」が有名で、昭和から平成10年ごろまで、FPにとってライフプランニングに欠かせない調査資料だった。ホームコンサルタントは顧客相談業務にも携わり、女性FPの草分け的存在だった。
(株)エスエーサービス(プラザ21)でFP業務を運営・実践
三和銀行は1986年に㈱エスエーサービスを設立、来店型FP店舗「プラザ21」を東京・大阪に展開することになるが、その際に代表取締役として白羽の矢が立ったのが田中さんだった。店頭営業推進センター所長のときもそうだったと思われるが、銀行からは顧客相談業務の展開には欠かせない人材、そして組織運営、部下育成のプロとして評価されていたのだろう。
プラザ21には店長としてFPが常駐するが、当時のわが国ではFPの定義も曖昧で、ダイヤモンドファイナンシャルプランナーズのFP養成講座は始まったばかりだった。そうした中、三和銀行からの出向者を社内研修と派遣研修でFPに育て上げ、プラザ21という実験店舗に配属、運営していくのが田中さんの役割だった。
当時、編集者として田中さんにプラザ21運営上の苦労話を聞き、新店舗の取材にも出かけたが、新橋店、千里中央店という一般顧客対象のワンストップ・ショッピング型の店舗から、池袋支店以降、次第に継続管理を指向する会員制店舗、相続や不動産対策が必要な資産家対応店舗へと変化していく。こうした中で、FPの業務内容、顧客応対のノウハウも確立されていく。その一端は、動画の内容にも表れている。
日本FP協会の設立と理事就任
日本FP協会の設立された1987年11月、田中さんは理事に就任される。当時の理事会の内容は知る由もないが、おそらく難問山積であったはずだ。ここからIAFPやCFPボードとの交渉を経て、AFP、CFP®制度の確立と毎年のFPフェアの開催、会員制度を生かしての全国組織展開、そして日本FP協会のNPO法人化までの道のりをリードされた。その間、銀行、プラザ21で培った経験が生かされたはずだ。
「それはそれは様々なことがありました。言えないこともたくさんあります。ただ、私なりにFP協会は、そしてFPはこうあるべきだ、と思ってやってきました。成功も失敗もありましたが、思ったことの半分くらいは達成できていると思います」というのが日本FP協会退職当時の田中さんの言葉であった。
「FPの定義」がよりどころ
私が最初に接したFPの定義(IAFPパンフレットの日本語訳)は次のものである。
「顧客の収入や資産、負債など顧客に関するデータを集め現状を分析した上で、必要に応じて弁護士、会計士等専門家の協力を得ながら貯蓄計画、保険・投資対策。税金対策等包括的な生活プランを立案し、それを実行していく手助けを行う専門家をいう」
田中さんをはじめとするわが国FPの先駆けとなった人たちは、この定義にある内容をどうすれば実践できるかを考え続けた。田中さんや私が注目したのは最後の「実行を手助けする専門家」である。田中さんがおっしゃる「お客さま自身ができるようにしてさしあげる」のがFPの役割であり、私自身も相談に際しては「できるようにしてあげる」ことを心掛けてきた。
そのためには業務知識も必要だが「倫理観」「気配り、心配り、気配を見抜く」、そういった感性が欠かせない。田中さんの動画は佐藤事務局長との対話形式をとっているが、田中さんの言葉の端々にFPとして行動指針が示されている。佐藤さんの問いかけは、それを引き出すことを意図した的確なものである。
(再視聴できると思いますが、その方法については佐藤さんに連絡してみてください)
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