【2016年 第5回 中小企業と鮎川義介】風は西から・・・日本の産業を創った長州の偉人たち
上津原 章(ウエツハラ アキラ)⇒ プロフィール
こんにちは。山口県のファイナンシャルプランナー、上津原と申します。
今回も引き続き、鮎川義介について取り上げたいと思います。
彼の事業は、日産自動車だけでなく多岐にわたります。
満州国の経済発展にかかわる
日産自動車立ち上げの後、満州軍の求めに応じて持ち株会社である日本産業が中心になって、満州重工業を立ち上げます。
満州で事業を行うものの、後に満州軍と対立関係になったため、日本の事業と満州との事業を再度見直すことになります。
この時日本に残った企業が、後に日本鉱業(現:JXホールディングス)、日立製作所、日産自動車などになります。
関東軍や満州国政府からの干渉が厳しくなったことから、1942年に総裁職を辞任し、資金面でも手を引きます。
その後の数年間は、東条内閣の顧問に入るなど、政治や経済の裏方として支えていくことになります。
巣鴨プリズンに入り、後政治家に
彼は、戦後まもなく財団法人農村工業振興会を立ち上げ、公的資金も得て経済復興を志します。
にもかかわらず、鮎川氏がつくった財閥の生き残りではないかとGHQににらまれ、巣鴨拘置所に20か月の長きにわたり拘留されます。
戦時中に、東条内閣の顧問になっていたこと、事業者として満州国の経営にかかわっていたことがその理由とされています。
拘留された間も、無駄に時を過ごさず、今まで事業をしながら思っていたことを再考する時間に充てていたといいます。
中小企業の振興に寄与する
戦後は、政治にかかわりながら、中小企業の振興に寄与することになります。
一つは、中小企業助成会(現:テクノベンチャー株式会社)の設立です。今でいえばベンチャーキャピタルのようなものです。
例えば、ソニーの創業時にも、事務所を廉価で貸し出したり資金を出したりしています。
現在も、孫である鮎川純太氏が代表取締役として経営にかかわっています。
もう一つは、中小企業共済財団の設立です。
中小企業が集まってできるスケールメリットによって、大企業と同じような福利厚生のしくみをつくることを目的にしています。
例えば、中小企業が多く加入している「特定退職金共済(特退共)」もこの団体から生まれています。
日本団体生命保険(現:アクサ生命保険)等の保険会社との提携による中小企業向けの保険商品も、創業当初から企画され今日まで続いています。
財閥解体を経て、今日まで残るもの
鮎川氏のことは、山口県で生まれ育った私も、ほとんど見聞きすることがありませんでした。
財閥解体という言葉は社会科や歴史の教科書で習っていても、実際にどのような事柄であったかは知るよしもありません。
財閥解体の後、中小企業振興のことを考えていたことはなおさらです。
商工会議所会員として会報などでよく拝見する、特定退職金共済や経営者保険といった今の私たちにとって当たり前の仕組みが、60年あまり前に考えられて今日も残っていることに先見の明を感じるのは私だけでしょうか。
それらの制度がなかったら、中小企業の経営者や従業員に退職金が今でもなかったかもしれないのですから。
今日の一言 ~演練~
鮎川氏は、「研究・実験・演練」を大事にしていました。その中でも特に、演練を大事にしていました。
演練というのは、今の言葉に置き換えればロールプレイングといったところでしょうか。
仕事においても、ロールプレイングが大事とされます。
いきなり本番に取り組まず、誰かの肩を借りて本番と同じような練習を重ねていきます。
その中で、長所はもっと伸ばし、短所は改めることで本番においても良い結果が出るのではないでしょうか。
ライフプランニングにおいては、大きな夢や目標があるとき、まず小さな課題に取り組むことが大事とされます。
お客様をみても、小さな課題に取り組んだ時の結果や感情から、もっと大きな夢や目標に向けて予定通り実行したり、軌道修正したりされている方が、ライフプラン通りの人生に近づいているように感じます。
小さなことから実践することを大事にしたいですね。
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