【2014年 第1回】成年後見制度の歴史 任意後見制度の概要と実務
三次 理加 ⇒プロフィール
「将来、自分の判断能力が低下した時に備えたい。」
そのような方に知っていただきたい制度が「任意後見制度」。今回から6回にわけて「任意後見制度」の概要をお伝えいたします。
成年後見制度とは?
成年後見制度は、平成12(2000)年4月1日、介護保険制度と同時にスタートしました。
成年後見制度とは、一言でいうと「判断能力が不十分な人を保護する制度」。「成人」で、知的・精神障がいや認知症等の精神的障がいにより「判断能力が不十分な人」を対象とします。身体上の障がいのみで精神的障がいを有しない人や未成年者は、対象外となります。
大きく「法定後見制度」と「任意後見制度」に区分することができます。
禁治産・準禁治産制度
判断能力が不十分な人に後見人を付する制度としては、明治31年施行「禁治産・準禁治産制度」がありました。同制度は「判断能力が不十分な人の財産を管理する制度」でした。同制度において、「禁治産者」には後見人、「準禁治産者」には保佐人が選任されました。
後見人には、禁治産者が行う全ての法律行為に対する代理権と取消権がありました。また、保佐人には、準禁治産者が行う一定の法律行為(たとえば、不動産の処分等)に対する同意権があり、それらの行為を準禁治産者が保佐人の同意を得ずに行った場合、その行為を取り消すことができました。
なお、同制度において、後見人や保佐人が本人を代理して法律行為を行う際、「本人の意思」に配慮する義務はありませんでした。
ただし、同制度は、様々な問題点がありました。たとえば、夫婦の一方が同制度を利用する場合には、必ず配偶者が後見人(または保佐人)になることとされていました。また、後見人(または保佐人)は、一人しか選任できませんでした。
さらに、家庭裁判所が禁治産(準禁治産)宣告をして後見人(または保佐人)が選任されると、その事実が公示され、本人の戸籍にも記載されました。一般の人に知れるため、社会的な偏見や差別を生み、制度利用を阻んでいました。
成年後見制度創設の経緯
従来の「禁治産・準禁治産制度」が廃止され、新しく「成年後見制度」が誕生した背景には、大きく以下4つの理由があります。
1)超高齢化社会の進展
一つ目は、世界でも類をみない超高齢化社会に突入した我が国において、2015年以降、高齢者人口は爆発的に増加することが予想されていること。(図表1,2)高齢化社会の進展に伴い、認知症高齢者数も増加の一途を辿っており、その身上監護ならびに財産管理に対する支援の必要性が高まってきたのです。
2)国際的な社会福祉理念の変化
二つ目は、国際的な社会福祉理念の変化。国際的に「ノーマライゼーション」の理念が推進されるに従い、我が国においても、①ノーマライゼーション ②本人の残存能力の活用 ③自己決定の尊重 の理念のもと、高齢者・障がい者福祉の見直しが図られるようになりました。ちなみに、ノーマライゼーションとは、障がいのある方も、可能な限り、家庭や地域社会で通常に暮らせるように環境を整えていこうという理念です。
3)「措置」から「契約」への流れ
平成12(2000)年4月1日、介護保険法が施行され、介護保険制度の運用が開始されました。これにより、福祉サービスの提供方法が大きく変化を遂げました。従来は、市町村等が福祉サービスの内容等を決める行政「措置」でした。
介護保険法施行後は、福祉サービスの提供者と利用者が対等な立場で行う「契約」になりました。本人が必要とする福祉サービスを選ぶ仕組みが整った一方、判断能力が不十分な方が福祉サービスを利用するための契約を結ぶ際、それを支援する人として後見人等が必要となったのです。
4)国際的な成年後見制度整備の流れ
平成4(1992)年、ドイツで「成年者世話法(ドイツ民法における成年後見に関する規定)」が施行されました。前述2)の国際的な社会福祉理念の変化に伴い、フランス、アメリカ等世界各国において、成年後見制度を改正する動きが相次ぎました。
以上から、成年後見制度は、旧制度の「判断能力が不十分な人の財産管理をする」だけのものから、判断能力が不十分な人の権利を擁護し、本人の意思を尊重しつつ、本人の財産管理と身上監護(=生活、療養看護に関する事務)を行う制度へと生まれ変わりました。
次回は、「任意後見制度の概要について」です。お楽しみに♪
この記事へのコメントはありません。